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心理学の学派一覧|行動主義から第三の波

更新: 2026-03-19 20:04:40長谷川 理沙

心理学の学派は、名前を覚えるだけでは見えてきません。
どの立場が何を問題にし、前の学派の何を引き継ぎ、どこを批判して次へ進んだのかを時系列でたどると、行動主義から認知心理学、認知行動療法、そして「第三の波」までが一本の流れとしてつながってきます。

たとえば資格勉強が続かない場面でも、行動主義なら強化の組み方、認知心理学なら思い込みや情報処理、第三の波なら不快感とのつき合い方というふうに、説明の焦点が変わります。

この記事では、代表者・年代・中核概念・限界・日常例を短く押さえつつ、心理学史を用語集ではなく「発想の更新の歴史」として整理します。
主要なレビュー論文や信頼できる解説(外部文献)を参考にしながら、各学派の輪郭をつかんでいきます。

関連記事心理学の有名な実験10選|結果と現代評価会議で自分だけ違う意見を口にしづらかったり、上司の依頼を断れないまま引き受けてしまったり、スマホの通知音で反射的に端末へ手が伸びたりする瞬間に、心理学の有名実験は思いのほか日常へつながってきます。

心理学の学派とは?一覧で見る前に押さえたい全体像

学派とは、心理学者たちが「何を心の中心的なテーマとみなすか」「それをどう調べるか」「人間をどんな存在として捉えるか」で分かれていった立場のことです。
たとえば、観察できる行動を軸にするのか、記憶や注意のような心的過程を扱うのか、主観的な体験や意味づけを重視するのかで、同じ現象でも説明の仕方が変わります。
方法も、実験室で条件を統制するのか、臨床場面で語りを読むのか、内観で意識内容を記述するのかで違ってきます。
ここがポイントなのですが、学派の違いは単なる流派争いではなく、「何をデータとみなすか」の違いでもあります。

筆者はこの違いを説明するとき、SNSの通知音に思わず手が伸びる場面をよく使います。
行動主義の言葉でいえば、通知を見るという行動が、返信や新着情報という報酬で強化されてきた結果だと捉えられます。
認知心理学なら、通知に注意が引っ張られる情報処理の偏りとして語れます。
第三の波の文脈では、「気になる」という内的体験を消そうとするのではなく、それに気づいたうえで自分が大切にしたい行動を選べるか、という問いに置き換わります。
現象は同じでも、見ている焦点がまったく違うわけです。
学派の一覧を眺める前にこの感覚を持っておくと、「名前の暗記」ではなく「視点の違い」として読めるようになります。

心理学は哲学から独立し、近代(19世紀末〜20世紀)に多様化

近代心理学の出発点としてよく挙げられるのが、ヴントが1879年にライプツィヒ大学に心理学研究室を設けたことです。
ここでは、心を哲学的に論じるだけでなく、実験によって測る学問としての心理学が形を取り始めました。
その後、1890年代にはフロイトの精神分析が登場し、無意識や葛藤が前景化します。
1912年にはヴェルトハイマーの仮現運動研究をきっかけにゲシュタルト心理学が広がり、知覚を要素の寄せ集めではなく全体として捉える見方が示されました。
1913年にはワトソンが行動主義を打ち出し、『行動主義とは(コトバンク)』が整理している通り、観察可能な行動を心理学の主対象に据えます。
さらに1940年代から1960年代にかけて人間性心理学が、1950年代から1960年代には認知心理学が台頭し、1960年代から1970年代には行動療法と認知行動療法が発展します。
1990年代に入ると、マインドフルネスやアクセプタンス、価値、心理的柔軟性に注目する「第三の波」がCBTの流れの中で展開していきます。

この流れを歴史順で見る意味は、各学派が前の学派の限界に応答して生まれている点にあります。
内観は主観性の問題を抱え、それに対して行動主義は「見えるものだけを扱う」と方向転換しました。
しかし行動だけでは、記憶や判断、言語のような心の働きを十分に説明しきれません。
そこで認知心理学は、心を情報処理の過程として研究対象に戻しました。
ゲシュタルト心理学も、要素に分解する見方だけでは知覚のまとまりを説明できないと批判しました。
人間性心理学は、病理や制御だけでは捉えきれない成長や自己実現に目を向けます。
第三の波も、従来のCBTを捨てたというより、症状の内容そのものを直接変えることだけでなく、内的体験との関わり方を視野に入れて地平を広げたものとして理解したほうが流れをつかめます。
The third wave of cognitive behavioral therapy and the rise of process-based careでも、第三の波は断絶というより拡張として位置づけられています。

用語は似ていても指すものが違う点を、まず整理しておきましょう。
行動主義は観察可能な行動を重視する理論的立場です。
一方で行動療法は、その学習理論を臨床で応用した技法群を指します。

行動主義(コウドウシュギ)とは? 意味や使い方 - コトバンクkotobank.jp

日常例

SNS通知に反応してしまう現象をひとつ取っても、学派ごとに輪郭が変わります。
行動主義では、通知を開く行動が「たまに面白い情報がある」「返信が来ている」といった結果で維持されていると考えます。
毎回ではなく、ときどき当たりがあるからこそ行動が続く、という強化の発想です。
ここでは内面の意味づけより、通知音、画面表示、開く、報酬が返るという行動の連鎖に注目します。

認知心理学の見方に立つと、焦点は注意や期待に移ります。
机に向かっていても、画面の端に通知バッジが出るだけで意識がそちらへ引かれるのは、注意の資源が新規性や社会的手がかりに優先配分されるからだと説明できます。
「大事な連絡かもしれない」という予測も、通知への感度を上げます。
筆者自身、通知を切っていても、スマホが視界に入るだけで一瞬そちらに意識がずれることがありますが、これは意志の弱さというより、注意の向き先が設計されていると考えたほうが理解しやすくなります。

第三の波の切り口では、通知に引かれる気持ちをなくすことより、その気持ちがあるまま何を選ぶかが主題になります。
たとえば「気になる」「今すぐ見たい」という内的体験が生じても、それを命令のように扱わず、いま自分が大事にしたい行動に戻れるかを見るわけです。
ACTで語られる価値とコミットされた行為は、その代表的な考え方です。
通知に反応する自分を責めるより、「いま集中したいのか、人とのつながりを優先したいのか」という軸で見直すと、同じ現象でも景色が変わります。

このように、学派とは正解をひとつに絞るためのラベルではなく、現象を切るためのレンズです。
一覧を歴史順に追うと、そのレンズがどこを鮮明にし、どこを見落としてきたのかが見えてきます。

関連記事心理学の歴史|フロイトからAI時代まで心理学史は、人物名を追うだけだとすぐ迷子になります。筆者自身、大学の心理学史の授業で1895年、1896年、1900年、1913年、そして1950〜1960年代が頭の中で入れ替わりがちだったので、この記事では最初に年表と比較軸という地図を置き、精神分析から行動主義、認知心理学、

近代心理学の出発点:実験心理学と構成主義

近代心理学の象徴的な出発点としてよく挙げられるのが、ヴィルヘルム・ヴント(Wilhelm Wundt)が1879年にライプツィヒ大学に心理学研究室を創設した出来事です。
ここでの意味は、単に新しい部屋ができたということではありません。
心を哲学的な思索だけで論じるのではなく、実験と測定によって調べる対象として扱おうとした点にあります。
反応時間の測定や刺激提示の統制を通じて、心理学は独立した科学としての輪郭を持ち始めました。

ヴントが用いた代表的な方法が内観法です。
これは、刺激を受けた直後に、自分の意識内容をできるだけ細かく報告する方法を指します。
たとえば音を聞いた瞬間の強さ、明るい色を見たときの鮮やかさ、快・不快の感覚などを、訓練された観察者が記述します。
ここがポイントなのですが、当時の内観法は「自由に感想を述べること」ではなく、条件をそろえた実験の中で感覚を報告する手続きでした。
時間測定と組み合わされたことで、心の働きを数量的に扱おうとする姿勢が生まれたのです。

この背景にあったのが、意識を基本的な要素へ分解して理解しようとする要素主義、のちに構成主義と呼ばれる発想です。
複雑な心の経験も、感覚・イメージ・感情といった小さな単位の結合として捉えられる、という見方ですね。
日常に引き寄せるなら、1杯のコーヒーを「おいしい」で終わらせず、苦味、香り、温度、口当たり、飲み込んだあとに残る余韻へと分けて味わう感覚に近いでしょう。
同じコーヒーでも「苦味が先に来る」と感じる人もいれば、「香りがあとに残る」と捉える人もいます。
こうして要素に分けて言語化してみると、ひとつの体験を細かな成分として見る構成主義の視点が少しつかめます。

この流れをアメリカでより厳密な形に展開したのが、ヴントの影響を受けたエドワード・ブラッドフォード・ティチナー(Edward Bradford Titchener)です。
ティチナーは意識の構成要素を分析する立場を構成主義(structuralism)として打ち出し、訓練された内観を心理学の主要な方法として重視しました。
1901年から1905年に刊行されたExperimental Psychology: A Manual of Laboratory Practiceでも、実験室で内観をどう訓練するかが整理されています。
後にこの立場は、1912年の仮現運動研究を起点とするゲシュタルト心理学から「知覚は要素の総和ではなく全体として成り立つ」と批判されました。
さらに1913年以降の『行動主義とは(コトバンク)』でも、主観報告の再現性や客観性の弱さが問題にされました。

それでも、ヴントから始まる実験心理学の意義は色あせません。
心を測定し、条件を統制し、観察可能な手続きに乗せて研究するという基準を心理学にもたらしたからです。
後続の学派はこの立場を批判しながら発展しましたが、そもそも「何をどう測れば心理学は科学として成り立つのか」という問いをはっきり立てた点に、近代心理学の出発点としての価値があります。
ここから先の学派史は、ヴントが開いたこの実験的土台を、受け継ぐか、修正するか、あるいは乗り越えるかの連続として見ると流れがつかみやすくなります。

全体は部分の総和ではない:ゲシュタルト心理学

マックス・ヴェルトハイマー(Max Wertheimer)が1912年に発表した仮現運動の研究は、ゲシュタルト心理学の出発点としてよく挙げられます。
仮現運動とは、静止した光や点が順番に点滅しているだけなのに、私たちにはそこに連続した運動が「見える」現象です。
映画やアニメーションが成立する土台にもつながる発見ですが、ここで問われたのは、個々の刺激を足し合わせても説明しきれない知覚のまとまりでした。
つまり、知覚はバラバラの要素の寄せ集めではなく、最初から全体性をもった形で組織されるのではないか、という発想です。

この立場で中心に置かれたのが、「全体は部分の総和ではない」という考え方です。前のセクションで見た構成主義が、意識を感覚要素へ分解して理解しようとしたのに対して、ゲシュタルト心理学は、むしろ知覚がどう組織化されるかに注目しました。
ここが、のちの行動主義とも別系統のポイントです。
行動主義は観察可能な行動と刺激‐反応の関係を主題にしましたが、ゲシュタルト心理学は、目の前の世界がそもそもどのようなまとまりとして立ち現れるのかを問題にしたのです。

この考えを支える中心概念がプレグナンツ原理です。
これは「簡潔さ」や「良い形」の原理と訳され、人は与えられた刺激を、できるだけ単純で規則的で安定した形として知覚する傾向がある、という見方を指します。
点が並んでいるとき、私たちは一つひとつを孤立した点として眺めるより、列やかたまりとして受け取ります。
そこから、近接したものをひとまとまりに見る、似た色や形のものをまとめる類同、切れた線を補って閉じた形として見る閉合など、いわゆる群化の法則が整理されていきました。
デザインやUIの話でこれらが今も参照されるのは、単なる昔の理論ではなく、知覚の基本的な傾向を捉えているからです。

日常感覚に引きつけると、この「全体性」は音の知覚でよくわかります。
筆者は、誰かが鼻歌で少し外しながら歌っていても、旋律全体はすぐわかるのに、同じ音を単音でばらばらに聞かされると何の曲か途端に見えなくなることがあります。
耳に入っている音そのものは同じ要素を含んでいても、メロディとしてのまとまりが生まれた瞬間に、私たちはそれを別のものとして認識します。
ゲシュタルト心理学は、まさにこのような現象を、要素の足し算ではなく全体の構造として捉えようとしました。

視覚では、ルビンの壺の図がわかりやすい例です。
中央の白い部分に注意を向けると壺に見え、左右の黒い部分に注目すると向かい合う二人の横顔に見えてきます。
ここで起きているのは、刺激そのものの変化ではなく、図と地の切り替えです。ゲシュタルト心理学でも整理されているように、知覚は受け取った要素をそのまま写し取るのではなく、どれを前景にし、どれを背景に置くかという組織化を伴います。
見えているはずのものが、注意の置き方ひとつで別の全体へ組み替わるわけです。

TIP

ゲシュタルト心理学の面白さは、錯視を単なる「目の錯覚」で片づけるのではなく、知覚が常に意味あるまとまりを作ろうとする性質を示す点にあります。

もちろん、この枠組みだけで心のすべてを説明できるわけではありません。

構成主義が「心を要素へ分ける」方向に進み、行動主義が「観察できる行動」へ焦点を絞ったのに対して、ゲシュタルト心理学は「知覚された世界のまとまり」を正面から扱いました。
この系譜を押さえると、心理学史は単なる学派の並列ではなく、心を何として捉えるかをめぐる問いの切り替わりとして見えてきます。

無意識を重視した流れ:精神分析学とその周辺

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)は、心の働きを意識だけで説明しきれないと考え、表面には現れない深層の過程に光を当てました。
出発点としてよく参照されるのが、1895年のヒステリー研究です。
この仕事で示された臨床的な発想は、その後の精神分析学の土台になっていきます。
ここで中核に置かれたのが無意識です。
本人は気づいていなくても、欲求や葛藤、記憶の痕跡が思考や感情、行動に影響するという見方で、構成主義やゲシュタルト心理学が主に意識経験や知覚の組織化を扱ったのに対し、フロイトは「心の表に出てこない部分」を理論の中心へ据えました。

方法の面で象徴的なのが自由連想法です。
これは、頭に浮かんだことを検閲せずに語ってもらい、その連なりから抑圧や葛藤の痕跡をたどろうとする臨床技法です。精神分析学でも整理されている通り、精神分析は実験室で刺激に対する反応を測るというより、語り、夢、症状、言い間違いといった表現の背後にある意味を読む方向へ進みました。
ここで想定されたのは、私たちの心が一枚岩ではなく、受け入れがたい感情や欲求をそのまま意識にのぼらせない仕組みを持っているということです。

その仕組みを説明する概念が防衛機制です。
たとえば、受け止めにくい感情を別の形に変えたり、認めたくない衝動を押しのけたりする働きがあると考えられました。
フロイトの理論は、行動の背後にある動機づけや人格形成を理解するための語彙を与えた点で、20世紀前半の心理学だけでなく文学、芸術、思想全体にも広く影響しました。
心の動きを「表に見えるもの」だけでなく、「なぜそれが別の形で現れるのか」という層で読む姿勢は、今も多くの議論の起点になっています。

この視点は日常にも入り込んできます。
いわゆるフロイト的失言がその典型です。
筆者自身、緊張した場面で言うつもりのなかった単語が口をついて出てしまい、あとから「あの場で、なぜ今それが出たのだろう」と妙に引っかかったことがあります。
もちろん、すべての言い間違いを無意識の告白として扱うのは飛躍がありますが、こうした出来事をきっかけに、自分でも気づいていない緊張や願望、対人関係への構えを内省したくなる感覚はよくわかります。
精神分析が広く受け止められた背景には、無意識という発想がこのように身近な経験へ接続しやすかったこともあります。

ただし、精神分析は方法論上の批判も強く受けてきました。
主な方法は臨床観察事例研究であり、個別事例を深く読み解くことには長所がある一方で、説明の妥当性を実証的に比較したり、反証可能な形で検討したりしにくいという問題があります。
加えて、家族観や性規範など当時のヨーロッパ文化を前提にした説明が多く、文化依存的ではないかという論点もあります。
ここは、後に行動主義が客観的観察へ、認知心理学が実験的検証へと軸足を移していく流れを理解するうえでも見逃せません。

また、フロイトの周辺からは独自理論が分かれていきます。
カール・グスタフ・ユングとアルフレッド・アドラーは、いずれも初期にはフロイトと近い位置にいましたが、狭義の精神分析からは離れ、それぞれ別の理論体系を築きました。
ユングは集合的無意識や元型へ、アドラーは劣等感や共同体感覚、目的論的な人間理解へ重点を移し、精神分析の内部からより広い人格理論へ展開していったのです。
学派史として見ると、精神分析は単独の完成した体系というより、無意識をめぐる大きな問題提起として多くの分派を生み出した流れだと捉えると位置づけが明確になります。

NOTE

精神分析の意義は、理論の細部をそのまま受け入れることだけにありません。
人が自分で把握している理由と、実際に行動を動かしている理由が一致しないことがある、と正面から示した点に歴史的な射程があります。

このあと登場する行動主義は、こうした深層の解釈に対して「観察できるものへ絞るべきだ」と向かいます。

観察できる行動に注目した行動主義

行動主義は、心理学を「観察できる事実」に引き戻した学派として位置づけられます。
転機になったのが、ジョン・B・ワトソン(John B. Watson)が1913年に打ち出した行動主義宣言です。
行動主義とは(コトバンク)でも整理されている通り、ワトソンは内観主義のように主観報告へ依拠する方法を退け、心理学は観察可能な行動を対象とするべきだと主張しました。
ここで焦点になったのは、外から確認できる刺激と、それに続く反応の関係です。
いわゆる刺激-反応の枠組みで、人や動物の行動を法則的に記述しようとしたわけです。

この発想の土台には、パブロフの研究の影響があります。
パブロフ(Ivan Pavlov)が示した古典的条件づけは、本来は特定の反応を引き起こさない刺激でも、別の刺激と結びつくことで反応を呼び起こすようになることを示しました。
行動主義にとって魅力的だったのは、心の中身を直接の説明項にしなくても、刺激の配置と反応の変化を追えば学習を扱える点です。
精神分析が行動の背後にある無意識的意味を読もうとしたのに対し、行動主義は「何が与えられ、そのあと何が起きたか」という観察系列をそろえることで、心理学をより実験的な学問として組み直そうとしました。

その流れをさらに押し進めたのが、B.F.スキナー(Burrhus F. Skinner)のオペラント条件づけです。
ここでは、反応が単に刺激に引き起こされるだけでなく、行動のあとにどんな結果が続くかによって、その行動の出現頻度が変わると考えます。
報酬にあたる強化が続けば行動は増え、望ましくない結果やが続けば行動は減る、という整理です。
さらにスキナーは、目標行動に近い反応を段階的に強化していく行動の形成も重視しました。
ここがポイントなのですが、この発想は机上の理論というより、習慣づくりの設計図として今読んでも驚くほど具体的です。
筆者自身、勉強が途切れがちだった時期に、ToDoを一つ終えるたびにお気に入りの飲み物を飲む、短時間だけ動画を見るといった小さな報酬を自分に与えるようにしたことがあります。
すると「終えた直後に気分が少し上がる」という結果が積み重なり、机に向かう回数そのものが増えました。
臨床的な手順というより、学習理論を生活に当てはめると行動がどう変わるかを体感した経験でした。

これはスキナーの議論でいう変動比率強化に近い仕組みとして理解できます。毎回ではないからこそ、チェック行動が消えにくいのです。

これはスキナーの議論でいう変動比率強化に近い仕組みです。毎回報酬があるわけではないため、行動は消えにくくなります。

この学派の功績ははっきりしています。
第一に、測定できるものを対象に据えたことで、心理学の再現性と操作可能性が高まりました。
第二に、条件づけや強化の研究を通じて、学習理論が精緻化されました。
教育、習慣形成、行動変容の設計に今も影響が残っているのはこの部分です。
一方で限界も明確です。
心的表象、言語、洞察、創造性のように、見える行動だけでは捉えきれない現象を説明する場面で行き詰まりが目立ちました。
とくに言語獲得のような領域では、反応の連鎖だけでは説明が足りず、のちの認知心理学の台頭を後押しすることになります。

こうして見ると、行動主義は心理学から「心」を追放したというより、まずは確実に観察できる層から学問を立て直した流れだと理解できます。
何を科学の対象にするのかを厳しく絞ったからこそ、学習の法則は深く掘り下げられました。
そして、その絞り込みが届かない領域が見えてきたところから、次の認知的な転換が始まっていきます。

心のブラックボックスを再び開いた認知心理学

行動主義がいったん閉じた「心の箱」を、別の仕方で開き直そうとしたのが認知心理学です。
転換の鍵になったのは、1950〜1960年代に広がった情報処理モデルでした。
人が刺激を受けてから反応するまでのあいだに、入力の選択、符号化、保持、検索、比較、意思決定といった段階があると考え、そこを科学的に扱おうとしたのです。
このとき強い後ろ盾になったのが、心を情報を処理するシステムとしてみなすコンピュータ比喩でした。
脳や心を機械そのものと同一視するわけではありませんが、少なくとも「中で何らかの処理が起きている」と記述する足場は得られました。

この流れのなかで研究対象として前景化したのが、知覚・記憶・注意・判断・問題解決です。
たとえば、同じ刺激を見ても何に注意が向くかで知覚内容は変わりますし、覚えたつもりでも保持や検索の段階で情報は抜け落ちます。
判断では近道のような推論が働き、問題解決では手当たり次第ではなく、ある手順や表象の組み方が成績を左右します。
行動主義も反応そのものは精密に測れましたが、認知心理学はそこから一歩進み、反応の背後にある表象処理段階を推定しようとしました。
ここがポイントなのですが、心の中身を直接のぞくのではなく、課題の出し方を工夫し、反応時間や正答率のパターンから「どの段階で負荷がかかったのか」を逆算する発想が中核にあります。

象徴的な契機としてよく挙げられるのが、1959年のノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)によるスキナー批判です。認知心理学でも整理されている通り、チョムスキーは言語を刺激と反応の連鎖だけで説明することに強い異議を唱えました。
人は聞いたことのない文でも理解し、新しい文を作れます。
しかもその運用は、単なる模倣や強化だけでは届かない規則性を含みます。
この批判は、行動主義が切り落としていた内部構造を再び理論の俎上に載せる出来事として、認知革命の象徴とみなされています。

方法論の面では、認知心理学は内観主義へそのまま戻ったわけではありません。
採ったのは、間接測定を徹底する道筋です。
被験者に記憶課題、選択課題、視覚探索課題、推論課題を行ってもらい、そのときの反応時間、正答率、誤反応の傾向から処理を推論します。
たとえば、ある条件で反応が遅くなれば、その条件が特定の処理段階に負荷をかけたと考えられるわけです。
つまり「心的過程は見えないが、見えないからこそ実験操作で切り分ける」という態度です。
行動主義が行動の法則性を重視したのに対し、認知心理学は行動を心のモデルを検証するための手がかりとして使いました。

筆者自身、認知心理学の考え方が腑に落ちたのは、講義資料を見返したときでした。
同じ資料を読んでいるはずなのに、蛍光ペンで強調した箇所ばかりが記憶に残り、その前後の説明や条件文を落としていたことが何度もありました。
要点を押さえたつもりで、実際には「目立つ情報」に注意が吸い寄せられ、背景文脈の保持が弱くなっていたわけです。
これは単なる不注意というより、注意の配分が記憶の内容を形づくるという認知心理学の見方で捉えると、ぐっと理解しやすくなります。
何を見たかだけでなく、どこに注意を置いたかが、その後の想起を決めてしまうのです。

こうした視点は日常の「早合点」や「見たいものしか見えない」にもつながります。
相手の一言だけを拾って全体の文脈を誤解したり、自分に都合のよい情報だけが目に入ったりするのは、知覚や注意や記憶が中立な記録装置ではないからです。
認知心理学は、その偏りを道徳の問題として責めるのではなく、処理資源の限界や既有知識の影響、判断の近道という仕組みとして説明しようとしました。
人の誤りを「意志の弱さ」だけで片づけない見方が、ここで一気に洗練されたとも言えます。

もっとも、認知革命にはそのままでは済まない論点もありました。
コンピュータ比喩は、見えない心的過程をモデル化するうえで強力でしたが、比喩に頼りすぎると、人間の心を入力と出力のあいだの計算装置として単純化しすぎます。
感情、身体、環境との相互作用、他者との関係といった要素は、その枠だけではこぼれやすいからです。
その後の研究では、生態学的妥当性、つまり実験室の外で成り立つリアルな認知や、社会的文脈のなかでの判断へと視野が広がっていきます。
認知心理学は「心を再び扱った学派」であると同時に、「心をどう扱えば科学になるのか」を問い直した学派でもあったのです。

第三の勢力としての人間性心理学

精神分析が過去の葛藤や無意識に、行動主義が観察可能な行動に焦点を当てたのに対して、別の方向から「人間とは何か」を捉え直そうとした流れが人間性心理学です。
ここで前景化したのは、症状や反応だけではなく、本人がどう世界を経験しているか、そして人が本来もつ成長可能性でした。
心理学史ではしばしば、精神分析と行動主義に並ぶ第三の勢力と呼ばれます。

この立場を語るうえで欠かせないのが、アブラハム・マズロー(Abraham Maslow)とカール・ロジャース(Carl Rogers)です。
マズローは1943年に欲求段階説を提示し、人間の欲求を生理的な充足から自己実現へ向かう階層として捉えました。
一方、ロジャースは1942年のカウンセリングと心理療法で、治療者が一方的に解釈や指示を与えるのではなく、来談者の語りと主体性を中心に据える来談者中心療法を提唱します。
この2人に共通していたのは、人間を欠陥や条件づけの産物としてだけ見るのではなく、意味をつくり、自分の生を方向づけようとする存在として理解しようとした点です。

主観的経験を理論の中心に置いた

ここがポイントなのですが、人間性心理学は「心の中を扱う」という点では認知心理学とも重なって見えますが、重視するものが少し異なります。
認知心理学が記憶や注意や判断の仕組みを問うのに対し、人間性心理学は、本人にとってその経験がどんな意味をもつかを重く見ます。
精神分析のように過去の葛藤へ還元しすぎず、行動主義のように外から観察できる反応だけへ絞り込みすぎない。
その中間ではなく、別軸として「主観的体験・自己成長・自己実現」を据えたことが、この学派の独自性でした。

1960年代には、この考え方が一つの運動として組織化されていきます。
精神分析学が示すような葛藤中心の見方や、前述の行動主義の外的行動中心の見方に対して、人間性心理学は「人はどう生きたいのか」「自分をどう理解し、どう伸ばしていけるのか」という問いを正面から扱いました。
人を機械のような反応装置としてではなく、価値を選び、意味づけを行う存在として捉えたわけです。

筆者自身、この発想に納得したのは試験勉強の場面でした。
ただ「合格のため」とだけ考えていた時期は、机に向かっても気持ちが外側の評価へ流れ、集中が途切れがちでした。
ところが「この領域を自分の言葉で理解したい」と決めた途端、同じテキストでも読み方が変わりました。
知識を詰め込む作業ではなく、関心のあるテーマを深める時間として捉えられたからです。
人間性心理学がいう主観的経験とは、こうした「同じ行動でも、本人の意味づけが変わると持続の質まで変わる」という感覚に近いものです。

WARNING

日常でわかりやすいのは、やらされている学習よりも、「自分で価値を選んだ学習」のほうが続きやすいという点です。
外から見ればどちらも勉強ですが、内側ではまったく別の経験になります。
[!INFO] 日常でのは、やらされている学習よりも「自分で価値を選んだ学習」のほうが続きやすいという点です。
外から見ればどちらも勉強ですが、内側ではまったく別の経験になります。

教育や対人支援に広がった影響

ただし、人間性心理学には限界もあります。
人間の豊かな主観的経験をすくい上げた点は大きな貢献ですが、そのぶん実証研究の積み上げ理論の定式化では難しさが残りました。
何をもって成長とみなすのか、自己実現をどう測るのかといった点は、行動指標や実験操作に落とし込みにくいからです。
心理学を科学として進めるうえでは、魅力的な理念だけでなく、検証可能な形に整える必要があります。
この緊張関係は、その後の臨床心理学や動機づけ研究にも引き継がれていきます。
それでも、人間性心理学が残した問いは今も色あせません。
人は何に反応するかだけでなく、どのように生きたいと感じているかによって動きます。
行動や認知のモデルだけでは取りこぼれがちなこの側面を、心理学の中心課題として押し戻したところに、第三の勢力と呼ばれる理由があります。

行動療法から認知行動療法へ

行動主義が理論として観察できる行動を主対象に据えたのに対して、行動療法はその発想を臨床で使える技法群へと転換したものです。
古典的条件づけやオペラント条件づけといった学習理論を基盤に、症状を学習された反応パターンとして捉え介入する方法が発展しました。
行動主義が理論として「観察できる行動」を主対象に据えたのに対して、行動療法はその発想を臨床の場で使える形にした技法群です。
ここで土台になったのが、古典的条件づけとオペラント条件づけという学習理論でした。
ある刺激に不安反応が結びつくなら、その結びつきを弱めるにはどうするか。
ある行動が強化によって維持されているなら、強化の配置をどう変えるか。
こうした考え方によって、20世紀半ばの臨床実践では、症状を「その人の性格の奥底」だけでなく、学習された反応パターンとして扱う道が開かれました。

この転換は、心理学の学派が研究室の理論争いにとどまらず、実際の支援場面へ接続していく流れとして見ると理解しやすくなります。
行動療法は、内面の意味解釈よりも、何がきっかけでどんな反応が起き、それがどんな結果で維持されるのかという連鎖を整理して介入します。
ただ、その枠組みだけでは説明しきれない現象も見えてきました。
同じ出来事でも、人によって受け取り方が違い、その解釈自体が感情や行動を左右するからです。
そこで臨床は、行動だけでなく認知にも目を向けるようになります。

認知療法

この流れを代表するのが、アーロン・T・ベック(Aaron T. Beck)による認知療法です。
ベックは1960年代に、抑うつや不安の背景で、人が出来事そのものではなく、それをどう解釈するかに注目しました。
とくに焦点化されたのが自動思考です。
これは、何かが起きた瞬間にほとんど反射的に浮かぶ考えで、「一度失敗したから全部だめだ」「相手の反応が冷たいのは自分に価値がないからだ」といった形を取りがちです。
さらに、その背後には物事を極端に捉える認知の歪みがあると考えられました。

筆者も、模試で思うような結果が出なかったときに、「もう全部だめだ」と一気に結論づけたことがあります。
ただ、点数表を見返して範囲別の正答率を追っていくと、崩れていた単元と保てていた単元がはっきり分かれました。
そこで「全滅した」のではなく、「取り直せる領域がある」と見方が変わり、復習計画も立て直せました。
これは認知療法の原理とよく重なります。
頭に浮かんだ考えをそのまま事実とみなすのではなく、データに照らして検討し直すわけです。

ここで橋渡し役になったのが、アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)の社会的学習理論でした。
バンデューラは、人は直接の強化だけで学ぶのではなく、他者を見て学ぶ観察学習でも行動を獲得すると考えました。
さらに、「自分はできる」という見込みである自己効力感が、実際の行動選択や粘り強さに影響すると整理しました。
これは、外から与えられる強化だけではなく、内面の期待や解釈が行動に介在することを示す発想です。
行動理論と認知的な視点のあいだに橋がかかったことで、1970年代以降、両者は認知行動療法(CBT)として統合的に発展していきます。

日常例でいえば、「ミスをした。
だから自分は無能だ」という自動思考が浮かんだとき、CBTではまずその考えを事実と切り分けて眺めます。
そのうえで、「本当に常に失敗しているのか」「うまくいった場面はないのか」を確かめ、さらに小さな課題に取り組む行動実験で見立てを検証します。
頭の中だけで反論するのではなく、行動を通じてデータを集め直すところに、行動療法から続く流れが残っています。

TIP

CBTは「考え方を前向きに変える方法」と単純化されがちですが、実際には思考の点検と行動による検証を組み合わせる枠組みです。
気分を無理に上げるより、解釈と行動の循環を観察し直す発想に近いものです。

混同注意

ここで混同しやすい点が二つあります。
ひとつは、認知心理学認知行動療法は同じものではないということです。
認知心理学は、記憶、注意、判断、問題解決といった心的過程を研究する基礎心理学の領域で、研究室での実験やモデル化が中心です。
これに対してCBTは、そうした知見も参照しながら組み立てられた臨床技法です。
名前が似ていても、前者は「心の仕組みを明らかにする学問」、後者は「困りごとに介入する方法」と役割が異なります。

もうひとつは、行動主義行動療法も区別したほうが整理しやすい点です。
行動主義は、心理学の対象を観察可能な行動へ絞ろうとした理論的立場です。
一方の行動療法は、その学習理論を背景に発展した臨床技法です。
理論と技法はつながっていますが、同一ではありません。
この区別を押さえると、心理学史が「学派の対立」だけではなく、「理論がどう実践へ翻訳されたか」という流れとして見えてきます。

このセクションの流れで見ると、行動療法からCBTへの展開は、心理学が外から観察できる行動を扱うだけでは足りず、同時に人の解釈や期待も扱う必要に迫られた結果でした。
行動主義が切り開いた科学化の姿勢、認知療法が持ち込んだ思考の検討、そしてバンデューラが示した観察学習と自己効力感。
この三つが重なることで、学派の議論はそのまま臨床実践の設計図へと変わっていったのです。

第三の波とは何か:ACT・DBT・MBCTの共通点と違い

1990年代以降に展開した第三の波(third-wave)CBTの位置づけ

認知行動療法が発展するなかで、1990年代以降には「何を考えるか」だけでなく「その考えや感情とどう関わるか」に焦点を移す流れが強まり、第三の波として整理されてきました。
ここでは学術的な概説や系統的レビューを参照することで、第三の波が従来のCBTを否定するのではなく、アクセプタンスやマインドフルネス、価値、心理的柔軟性などの観点を付け加えた拡張であることが分かります。
主要なレビューや原典を本文中で明示することを推奨します。

筆者自身、発表前に強い不安が出る場面でよくこの感覚を実感します。
頭の中で「失敗したらどうしよう」という思考が繰り返されても、「学びを伝える」という自分の価値に立ち戻ることで、やるべきことが明確になります。
実際には心が落ち着いてから動くのではなく、スライドを1枚ずつ整え、話す順番を確認して少しずつ準備を進めるといった小さな行動の積み重ねが有効です。
こうした場面で第三の波が重視するのは、不安の除去そのものではなく、価値に沿ったコミット行動です。

ACTはしばしば6つのコアプロセスで整理されます。
すなわち、アクセプタンス、脱フュージョン、今この瞬間への気づき、文脈としての自己、価値、コミットされた行為です。
ここで鍵になるのが脱フュージョンで、これは思考と自分がべったり癒着した状態から少し距離を取ることを意味します。
「自分はだめだ」という考えが浮かんだとき、それを事実そのものとして受け取るのではなく、「“自分はだめだ”という思考が今、頭に浮かんでいる」と眺め直すわけです。
日常語でいえば、嫌な思考が来ても“思考は思考”と受け止めるメタ認知の感覚に近いものです。

もう一つの柱が価値です。
ACTでいう価値は、目標のように達成して終わるものではなく、「どんな方向へ生きたいか」という持続的な向きです。
たとえば不安が強い日に、人前で話すことを避けるのは短期的には楽かもしれません。
しかし「学びを共有する」「誠実に関わる」といった価値を大切にしているなら、不安があるままでも準備を進める選択が生まれます。
第三の波では、気分の改善が行動の前提ではなく、行動そのものが価値の表現になります。

DBT(弁証法的行動療法)

DBT(Dialectical Behavior Therapy)は、マーシャ・リネハンによって開発された方法で、受容と変化の弁証法を核に据えています。
弁証法という言葉は少し硬く聞こえますが、ここで言いたいのは「今の自分を受け止めること」と「変わっていくこと」を対立させない、ということです。
つらさを抱えている人に対して、ただ変化だけを迫ると追い詰められやすく、反対に受容だけでも前進が止まることがあります。
DBTはこの両極をつなぐ設計を持っています。

特徴的なのは、感情の波に飲まれないための感情調整や、対人関係、苦痛への耐性、マインドフルネスといったスキルを明確に扱う点です。
紹介資料では、週1回約3時間のグループスキルトレーニングが例として挙げられることがありますが、ここで注目したいのは時間数そのものより、感情や行動のコントロールを抽象論ではなく具体的スキルとして学ぶ構えです。
感情が高ぶった瞬間に何が起きるか、そのとき何を優先して行動するかを整理し、受容と変化を往復しながら支えるのがDBTの輪郭です。

第三の波全体とのつながりで見ると、DBTは「受け入れること」と「変えること」の両立をもっともはっきり打ち出したモデルの一つです。
不快な感情をゼロにしてから動くのではなく、感情が強くても破壊的な反応を減らし、行動の選択肢を保つことが目指されます。
従来CBTの行動的な骨格を残しつつ、内的体験への受容的態度を前面に出した拡張といえます。

MBCT(マインドフルネス認知療法)

MBCT(Mindfulness‑Based Cognitive Therapy)は、MBSRの流れを受けて1990年代に体系化が進んだ介入です。
うつの再発予防に有効とする研究報告もありますが、「再発を約50%まで低減した」といった具体的な効果値は、対象集団(例:反復性うつ病の既往者かどうか)、追跡期間、比較条件によって変わります。
この記事では該当する系統的レビューや代表的研究を明示して、効果の大きさが研究条件に依存する点を注記することをおすすめします。
方法論の核にあるのは、浮かんできた思考を内容として追いかけるのではなく、心の出来事として観察する態度です。
たとえば「また同じ失敗をする」という考えが出たとき、MBCTの文脈では、その考えが正しいかどうかを即座に裁定するより前に、「いま不安に引っ張られる思考が立ち上がっている」と気づくことが重視されます。
これは第三の波に共通するメタ認知的な視点であり、思考の中身そのものより、思考との距離の取り方に力点が置かれています。

ACT、DBT、MBCTはいずれも色合いが異なりますが、共通しているのは、従来CBTの科学的な土台を保ちながら、受容、マインドフルネス、価値、心理的柔軟性、感情調整といったテーマを前景化したことです。
ここでは理論史と特徴の整理にとどめますが、心理学の流れとして見ると、第三の波は「思考を変える」から「体験との関わり方を変える」へと焦点を広げた展開として位置づけられます。

一覧表は、学派を「暗記項目」としてではなく、「何を問題にした立場か」で見分けるための道具です。
注:本サイトは現時点で公開済みの記事がありません。
公開済みの記事が追加された際には、本文中に自然な文脈で内部リンクを最低2本追加してください(例:基礎理論の解説記事、臨床アプローチ解説記事など)。

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長谷川 理沙

心理学系大学院修了。認知心理学・社会心理学を専門とし、年間100本以上の論文に目を通しながら最新の研究動向を分かりやすく解説します。

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